景公は怒って戈を手に取り、自分でその人を撃とうとした。 」 第四条、羣卿百寮體を以て本とせよ……。 決して、自分の考えで、真実の仏教の教えを乱してはならないのです。
しかし、上司と下僚がにこやかに仲むつまじく論じ合えれば、おのずから事は筋道にかない、どんな事でも成就するであろう。
どうすればよいか。
人々の気持ちが整わないことは私心をもって公務を妨げることであり、恨みの気持ちが起これば制度に違反し法律を犯すことになる。
」 第十六条、民を使ふに時を以てするは古の良典なり……。
本書は、研究所の叢書の第1冊目として『法華玄義』を現代語訳化したものである。 王は聞いた「どのようすればいいだろうか?」邵公はこう答えた「罪ある者は殺し,罪のない者は活かします,いかがでしょう?」王は「それでは足りない」邵公が退出し,周公が入ってきた。 公曰はく、「諾。
1第一条、和を以って貴しと爲し忤ふこと無きを宗と爲す……。
天台三大部(『法華玄義」『法華文句』『摩訶止観』)の一つとして、『法華経』の注釈書のなかで、古来もっとも多く読み継がれてきたものである。
お前の罪は死罪に相当する。 いくら言っても親鸞の信心、このほか何もござらぬ。 幸いにも正しい仏教の先生におあいし、導きを受けなければ、どうして真実の仏教の教えを学び、阿弥陀仏の救いにあうことができるでしょうか。
11」 訳文「物事は独断で行ってはならない。
そのゆえは、一切の有情は皆もって世々生々の父母兄弟なり。
そのゆえは、自余の行を励みて仏になるべかりける身が、念仏を 申して地獄にも堕ちて候わばこそ、「すかされたてまつりて」という 後悔も候わめ。
巻十六 談叢• 」 訳文「群卿や百寮は、朝は早く出仕し、夕は遅く退出するようにせよ。
而の罪死に当たる。
密教というと護摩に代表されるように主に呪法という印象だったけど、これを読むとやはり大乗と地続きだったんだとわからされる。 経文は漢音で読むこと、本経典を唐から持ち帰ったのは空海ではなく最澄であること、『理趣経』より重要なのは注釈書 真言宗の常用経典であり、「男女の性的な快楽は菩薩の境地である」と説くことで名高い『理趣経』。
訳注は、『現代語訳 法華玄義』(上)(下)を刊行した東洋哲学研究所副所長の菅野博史と、研究員で湛然研究を専門とする松森秀幸が担当した。
「たんにしょう」と読みます。
。 」 訳文「群卿(大夫と呼ばれる上位官吏)や百寮(各官司の役人)は、みな礼法を物事の基本とせよ。 念仏は、まことに浄土に生まるるたねにてやはんべるらん、また 地獄に堕つる業にてやはんべるらん、総じてもって存知せざるなり。
なぜならば、念仏以外の修行に励んで仏になれる私が、念仏したから地獄に落ちたのであれば、だまされたという後悔もあろう。
人々と検討しあえば、話し合いによって道理にかなったやり方を見出すことができる。
善導の御釈がまことならば、そのまま教えられた、法然上人の仰せにウソ偽りがあろうはずがないではないか。 阿弥陀仏に救われたならば、自分の力で後生の一大事助かろうと して称えるのではないから、私の行でもないし、私の善でもない。
19しかも、志郎さんは仏教徒というわけでもなく、ただただ30年以上に亘って連れ添った結核の苦しさから楽にしてくれた『歎異抄』の教えを、宗教書としてではなく、「生き方の教え」として捉え直した解説を自身の人生の決算書として書き遺したのです。
臣請ふ君の為に之を数め、其の罪を知らしめて之を殺さん。