自分は「音楽評論家」とか「音楽ジャーナリスト」じゃなくて「音楽紹介家」がいいな、とおっしゃっていたオヤマダさん。 場合によってはコンサート直後に楽屋へ直行し、アーティストの方々にアポなし突撃インタビューする。 個人ブログ「山尾好奇堂」 でも人気を博していた。
1968年にはイギリスを代表する伝記映画の巨匠ケン・ラッセル(『恋人たちの曲/悲愴』『マーラー』)が、 Song of Summerと題して映像化し、BBCが放送。
例えば、アフリカから命からがら逃げてきた難民の子であったり、他者に触れられることが怖いと感じる子であったり、彼らは本当に多種多様な背景を背負いながら身体表現を通じて脆く淡く不安定なティーンエイジをサヴァイブする。
もちろんイギリス本国ではすでに研究されているだろうと思いますが。 カタカナ表記ですとなんだか威厳がないようにも思え、クラシック音楽業界では珍しいと思いますが、来年からは威厳のようなものを必要とする評論的なお仕事はお引き受けしないことも決めております。 ショックだ。
12020年9月15日 ONTOMO編集部 追記 オヤマダアツシさんは、2020年9月3日に永眠されました。
109• その2年後、2011年の年末だったか、オヤマダさんから急に「来年のラ・フォル・ジュルネ音楽祭はロシア特集なんだけど、ラフマニノフとかチャイコフスキー以外はいまひとつ知られていないので、なんかガイドがつくれないかと思って」と電話をもらい、翌2012年の春に『ロシア音楽はじめてブック』として出版がかないました。
やはりヴァイオリン・ソナタ《遺作》から第1番までのあいだに劇的に変わっちゃったんじゃないかと思います。 冒頭部分、主人公が泥棒に小銭をくれてやる場面、スーツを買う古着屋の親父が放つ「ゴージャス!」というひと言、自作の曲を臆面もなく(?)聴かせる銀行の偉い人、「オレはシン・リジィしか演らないぜ」というバンドマン、などなど。
林田 それこそさっきのカズオ・イシグロじゃないけど、ノーヴェル賞を獲ったとたんに、急にカズオ・イシグロを日本の作家にしたいと言い出す。
そこには彼が〈不滅の恋人〉と呼ぶある一人の女性に想いを込めて書かれた愛の言葉がしたためてあった。
たとえば権威主義的な雰囲気のある作曲家の協会にはやはり権威的な臭いがして、なんかそこで組織化というかヒエラルキー化が起こるんです。 ポツンポツンと、おそらくいろんなところにいらっしゃるんじゃないかなと思います。 彼の演奏は実に表情が豊かであり、音楽がドラマとなって奏でられるという雄弁なものだ。
もしかしたらオヤマダさん、この本を自分で訳したかったんじゃないか、と思うほど入れ込んでくださって、コンピレーションCDの企画・編集やトークイベント出演など、側面から力強く応援してくださいました。
2回目 [114] はドビュッシーの作品(一部は編曲)が並び、オーケストラ全体が生きもののように活気づく「海」、官能美の極地である「牧神の午後への前奏曲」が聴ける。
具体的にご一緒したのは実は数えるほどしかない。
冷戦中、ヴィクトルは政府に監視されるようになり、ベルリンでの公演時にパリに亡命する。
音楽漬けの学生時代を経て、広告コピーライターや各種PR誌の編集業務などをする中、30代で音楽ライターに。 | Webマガジン「ONTOMO」. アカデミックじゃない音楽の部分でつながりがあるんじゃないかなと思います。 ラ・フォル・ジュルネでは5台のノートパソコンが向き合って並んだ会議室で、当時ちょうど流行り出したカカオ70パーセントとか85パーセントの濃厚チョコレートをみんなで分けあい、「草のようだ」「エネルギー補給」などと言いながら一緒にほおばっていたことを思い出します。
1968年にBBCで放送された映画 Song of Summerの収録にあたっては、グレー=シュル=ロワンに戻り、ケン・ラッセル監督の顧問として制作を支えた。
現在はインタビュー記事やコンサートの曲目解説を中心に執筆。