田岡の山本健一への寵愛ぶりは有名で、山本健一自身は田岡の後継者と目されながらも田岡の後を追うように病死したが、死後も山本健一の遺志をふまえ、山健組の出身者は山口組の主要ポストに起用されていった。 「発端となったのは、店舗側のインターネットカジノの面倒見をめぐるトラブルだった。
9警察が捜査したところ、 防犯カメラに目を押さえて暴力団事務所を出る男性の姿が映っていたことが判明。
福田康廣(福田組組長)• 河合哲男(天網会会長)• その対応のために事件当日の夜、兼一会本部に来ていたのが山之内会長で、警察ではその日に兼一会本部に出入りした幹部らを証拠隠滅にかかわったとして、すべて逮捕したということのようだ」(業界関係者) 事件直後、府警はすぐに二代目兼一会本部事務所の家宅捜索をかけており、事務所に設置された防犯カメラから、犯行時刻の映像を押収するつもりだったという。
三代目山口組(組長・)の若衆・がに結成。 三代目 舎弟頭補佐・中村伍男(組長) - 後に六代目山口組若中• 山田浩二(愛誠会 会長) 幹部 [ ]• ケガを負った背景に当時、極心連合会副会長だった植野会長の存在が浮上。
15それを不服に思った太田興業の幹部は、一緒に酒を飲んでいた任侠山口組の相談役をともなって、深夜に酩酊した状態で二代目兼一会の事務所を訪れた。
この移籍は山口組分裂以来の大型移籍ということで大きく取り沙汰された。
ビビッて事務所に プレハブ セコムのカメラつけよった。 またもっとも直近の兼一会の動向としては、今年(2018年)11月14日、例の任侠山口組組員への暴行事件に絡む証拠隠滅の容疑で、植野雄仁会長をはじめ、幹部組員11人が大阪府警に逮捕されたとのことである。 山本はその後、山口組若頭補佐に就任し、に山口組若頭・梶原清晴が海難事故で急逝すると、その後任に就任した。
8二代目 舎弟頭補佐・(会長) - 後に六代目山口組若中• それを牽制する意味で、当局でもかなりの捜査員を家宅捜索に動員したようです」 ただし、騒然としたのはミナミだけではないと関係者は話す。
それに激昂した兼一会組員が任侠山口組幹部に反撃したとしても、ヤクザの世界の道理では、兼一会サイドに落ち度や不自然な点はない。
しかし、結果はまったく違い、兼一会はそろって 極心連合会へと移籍を果たしたと聞いている。 小競り合いのようなトラブルでも、当事者がヤクザであれば、摘発されてしまう。 この移籍は六代目山口組分裂後、まれにみるほどの 大型移籍といえるのではないか」(六代目山口組関係者) さまざまな憶測や噂が取り沙汰された植野会長の絶縁処分後の騒動は、 極心連合会への加入ということで終止符を打つことになった。
7最新刊は、元山口組顧問弁護士・山之内幸夫氏との共著『山口組の「光と影」』(サイゾー)。
瞬時にこれだけの動きを見せた兼一会の組織力にあらためて驚かされた業界関係者も少なくないのではないだろうか。
坂上明弘(三代目石湊会会長)• ヤクザネットワークも発達しとるから同じ文章が複数からきて、送信してきた人間たちだって、もともとの発信源が誰なのか分からんくらいやで。 樺山典正(樺山総業総長)• 今月3日には山口組系組員銃撃事件の実行犯として中田容疑者が逮捕され、山健組内部の混乱はピークに達しているとされる。
田中勝彦(二代目矢倉会会長)• 兼一会の本部がある大阪市中央区島之内には、織田代表の名前の表札がかかる任侠山口組絆連合も存在し、その距離は正に目と鼻の先である。
以降、テレビ、雑誌などで、山口組関連や反社会的勢力が関係したニュースなどのコメンテーターとして解説することも多い。
『極心連合会』について、大阪府警は昨年の2019年11月ごろに解散したとみている。
1この日、当初は被害者のA元組員が証人として出廷する予定になっていたが、体調不良のため見送られ、検察側証人として大阪府警の捜査員が出廷。
ましてや任侠山口組幹部と飲食し、兼一会に乗り込んでしまうかたちとなったのだから、反対に太田興業の幹部がなんらかの処分を受けてもおかしくなかったと指摘する関係者も少なくない。
元満志郎(二代目安倍組組長)• 竹内正夫(二代目竹内組組長)• 暴行があったのは当時、山口組系2次団体だった『極心連合会』(大阪府東大阪市)の事務所。 確かに山健組は、神戸山口組の二次団体ではあるものの、「プラチナ級」といわれるほどの実力者が多く存在している。 島田潔希(二代目兼昭会会長)• 同年11月には、舎弟頭・会長と舎弟頭補佐・会長森尾卯太郎が本家直参へ昇格した。
3二代目 若中相談役・杉秀夫(健心会会長) - 後に五代目山口組若中• 岩崎尚介(二代目道志会会長)• 山建組の執行部会議に欠席するなど、露骨に反抗的な態度を取ったために、2018年2月11日、山建組から絶縁の処分が下された。
四代目 舎弟頭補佐・森尾卯太男(会長) - 後に六代目山口組若中 脚注 [ ]. 被害者の組員と 金容疑者ら6人は 当時極心連合会に所属していた。
三代目 舎弟頭補佐・根本辰男(二代目組長) - 後に六代目山口組若中• 逮捕容疑は 共謀し、昨年5月中旬、極心連合会の事務所1階で、当時組員だった40代の男性の顔を殴るなどの暴行を加え、左目を失明するなどの重傷を負わせたとしている。 のちに六代目山口組体制においてが直参昇格からわずか4ヶ月で若頭に就任し、この記録を破っている。
2「極心連合会を率いる橋本会長も、 植野会長と同じ山健組の出身。
斉藤浩一(二代目宮鉄組)• この時、太田興業幹部が本来敵方であるはずの任侠山口組の幹部とともに来たこともあってトラブルになり、兼一会組員によって任侠山口組の相談役が暴行を受けた(関係者によればこれは、任侠山口組の相談役が先に手を出したことが発端であるという)。
「任侠山口組幹部に対する暴行事件をめぐって、すぐさまその処理に対して山健組でも事態確認に動いていた。 三代目 舎弟・大関大(二代目会長) - 後に五代目山口組若中• 同年2月11日、植野雄仁は山健組から絶縁処分を受ける。 大阪ミナミを震えあがらせた 伝説と古のGANXTAA 植野氏の二代目兼一がまさか. 高山秀樹(高山実業組長)• 牧野元義(牧野興業総長)• また、六代目山口組分裂後には、 橋本会長の六代目からの離脱説が流れたこともあったが、 プラチナ級といわれる二代目兼一会を加え、 六代目の中でも屈指の組織となっていくのではないだろうか。
5「知りません」と容疑を否認している。
そのなかには、神戸山口組五代目山健組若頭補佐である誠竜会・山之内健三会長まで含まれていた。